この前、古典ハタヨガのクラスを受けていて、先生がクラス中に何回か
「こうでなければいけないは無いので…」と仰っていて。
要は【自分にとっての快適を選んでください】ということ。
座り方、ポーズのキープ時間etc.
自分にとっての快適は、自分でなければわかりません。
今、私のクラスの最後は休息のヨガ(リストラティブヨガ)を少ししていますが、その時みなさんに「正解はなくて、自分の心地よさの追求です」と伝えたりしています。
そうすると、皆さん自分で積極的に追求してくれて「私はこれでやる」と決めてやっています。
そして最後だけじゃなくて、実はクラス全体を通して伝えています。
自分をポーズに合わせていくやり方もあるけれど、今の自分にポーズを合わせるやり方もアリだと思っています。
だから私は選択肢をお伝えしたりするし、それを自分で選んでもらう場面もあります。
自分のことだから、自分で選ぶ。
リストラティブヨガはこういう考えがとても顕著なのですが、ヨガ全体&ヨガ以外のことでも応用できるのでは?
2つ前のブログに「別にヨガじゃなくてもいい」という題名で投稿したのも、こういうところからきます。
だから色々やったら良いと思うし、その過程を楽しめばいいのではと思います。
でもね…
こう思えるようになったのは、最近です。
「こうじゃなければいけない」が強かった。だから苦しみました。
気づいて色々手放して、今はこのスタンスに居ます。
PS: 写真は、鳥羽水族館のジュゴン。
本文と全く関係ないのだけど、もう写真がないから入れてみた(笑)。
